人生という砂時計
パーソナル禅トレーナー禅崇/Zensuです あるインスピレーションがあり、砂時計を入手しました。 砂時計は 、 現在 ・過去・ 未 来というすべての時を表して います。 落ちた砂粒が積もった部分は過去、上の 残 りの部分の砂粒は未 来 、 そして真ん中のくびれの細いところを通過する一粒の砂が現在の一瞬を表しています。 私たちは日常生活の中ではデジタル時計やアナログの時計によって時間を認識します。 すべての時間を一目で見てわかる砂時計は、砂の一粒が時間そのものです。 未 来 の砂粒は、現在という一瞬を 経 てすべて過去になっていきます。 現在は一瞬にして過去になり後戻りすることは決してありません。 砂時計は砂が落ちきってしまったら、また逆さにして使用できますが、 私たちが持っている「人生という砂時計」はひっくり返すことができません。 過ぎ去った「過去」には二度と 戻 れないし、未だ来ない「未 来」 にもいけない。 あるのは今一瞬の、時の一粒のみなのです。 砂時計を眺めていると、今という時間はあっという間に未来から過去へと 過ぎ去っていくことが実感できますね。 人生 100 年時代に入ったと言われていますが「人生という砂時計」は、 過ぎ去った時間は、重ねた年齢として認識できますが、 自分に残された時間(=余命)は誰にも計ることができません。 もし「人生という砂時計」の上半分に残っている砂粒の数が分かったなら、 あなたはどうしますか? 「あとこれだけしかない」と嘆き自暴自棄になるのか、 「まだこれだけある」と肚を据え旅立ちへの準備を整えるか、 のどちらかでしょう。 でも現実の私たちには、残りの砂粒の数(余命)はわかりません。 だからこそ「いつ来るか分からない」その時のために、 終活をいま始めなければならないのです。 だからまずは、プレ終活から始めてみませんか? 砂時計の数字が「年」だとしたらあなたの砂時計はどれ?